愛しのローズマリー

死ぬ間際に父親に、女に妥協するな最高の尻とおっぱいをものにしろ!と言われてしまって、女性の外見を高望みする主人公があることで、内面の良い女性が美人に見えるようになってしまう、というおはなし。
内面がいい人の外見がよく見えるというのは、女性に限らず男もそして子供に対しても一緒。
外見の良さ、悪さが単にデブ・ブサイク、だけでなく何らかの病気などによる後遺症などもふくんでいるところが、この手の設定ではなかなかないかも。本物の障害者が障害者として映画にでる、というのが今作の監督ファレリー兄弟では必ずらしい。
登場人物のセリフでもあったが、視えるわけがない内面を捉えて外見を美化してみるというのは単に外見の悪い人はいい人という偏見という皮肉か、いやいや、、とか一応軽いコメディ系の映画という体だけれど色々考えてしまった。美人(主人公にはそう見えている)を演じる女性俳優が、自信のない言動やら男に好意を向けられることになれていないでちょっとあせったりをしっかりと演技しているのもなんともおかしい。というか美人がそうすることに違和感をかんじて、そういう言動や仕草は美人には本来縁のないものということがわかった。
ファレリー兄弟作のなかでは一番印象に残ったと思う